ライ麦畑で土下座して

うっすら人殺し。映画やドラマの感想など。

シンプルだが寓意的なようでそうでない。終始FUCK'Nなおとぎばなし。映画「ヒットマンズ・レクイエム」ネタバレ感想

 

 

Q.どうして子供を殺してはいけないんですか?
A.なんでとかそういうのじゃなくってほんとにほんとにダメだから。理由とか聞いてんじゃねえよ。

 

罪のない子供を誤って殺してしまった新人殺し屋レイの物語なのだが、いかんせん根底に転がる問いと答えがこんなのだから終始笑いがつきまとう。殺し屋が子供撃ってうじうじすんなや。大の大人が子供を殺した殺さないですげえ勢いで言い争っている。いや、だめなんだけど。子供を殺していいってことは絶対ないんだけど、主要登場人物は悪事を働いているといえど同じ人間をぶっ殺しているわけで。こいつらに今更倫理を語る余地はないと思う。さらに説教するとなると、もうお笑い種だ。笑ってくれと言っているようにしか見えない。クエスチョンに対して具体的なアンサーはない。まるで、考えるな感じろとぶん殴られているかのようだ。当然の如く彼らの間に横たわるルール。顔色ひとつ変えないで人を撃てるやつに、恩人の行動を容易く無下にできる奴ですら、子を殺したらまず自分を責める。絶対的でクソデカなルール。悠々と寝そべる様はかなりシュールだ。倫理的には間違っていないのだけど、じゃあ大人を殺していい理由は。そうやってクエスチョンを突き詰めるターンをあえてふっ飛ばしているのが、この映画。

 

 

鐘楼の上でのハリーとケンによるやりとりのような、王道やお決まりと呼ばれる流れを作っておきながらぶったぎるのは、マーティン・マクドナーという監督の特色の一つのような気がする。他の長編2作を見ていてもかんじる、メジャーに背を向けている感じというか。見ている側はある程度次の展開を予想しながらみているから驚くし、テンポも狂う。まるで気まぐれで作ったかのように進む話を愛せるかどうかは、好みの問題もあるし、心構えも必要だ。ヒットマンズ・レクイエムという映画は賛否にわかれていい映画だと思う。

 

 

主人公であるレイというのはかなりクズだ。主人公というポジションがそぐわないくらい。前半のケンがせっかくブルージュの名所について説明してくれているのに不機嫌さを隠そうともしないのは子供を殺してしまったからだとしても、終盤の行動は最低としかいいようがない。ケンが身を挺して再起のチャンスをくれたというのに一目惚れした女とイチャイチャイチャイチャ........これが目撃されることで、助かりそうだったケンが死んでしまうのだから救いがない。

「クズである」というのがレイというキャラクターの魅力でもあると思うけれど、やたらめったらクズさ加減を強調しないのが脚本の小憎たらしいところだ。必要以上に語らない監督らしいといえばらしい。

 

 

ケンは大変良いやつだった。殺し屋だから良いやつも何もないけど。でも、新人であるレイを気にかけてやってるところはまさに、保護者という表現がぴったりだった。本当に彼は悪い奴を殺しているだけで、他は殺さないんだろう。金のために仕方なく、殺し屋という仕事についているんだろう。だからといってこちらが同情するかと言われればそんなにしないし、してはいけないんだろうけど。言葉の端端から殺し屋としての達観具合が伺える。安らかな死を迎えるのは彼自身も望んでいなかったに違いなくあの最期は彼にとってはあの場における最良なんだろう。

彼は一本気のあるキャラクターだったが、善人くささは鼻についた。絵に描いたような優等生。これはマクドナー監督の他2作を見ていると若干の違和感がある。監督は100%の善と悪を描かない人だと思っていた。悪人が悪人である意味をしっかりと考えている人だった。ケンの描かれ方は100%の善人というわけではないけれど、強いていうならレイに向ける好意の意味を詳しく知りたかった。ベテランが新人の世話をしているだけにしては、彼の見せた覚悟は大きすぎるきがする。

 

 

ハリーは中盤くらいにやっと姿を見せたのに存在感は半端なく、凍りついた表情に浮かぶ笑みはまさに極悪非道な殺し屋。気に入らないことがあるとキレ散らかすところなんてまさに子供だが、仕事はしっかりやりぬくプロフェッショナルな部分も見せる。筋も通すし。最期は宣言通り銃をくわえて死ぬ彼だが、あんな感じで奥さんがいて子供もなんだかんだ大事にしている。鐘楼の上でケンの男気に絆されるが、数分前には受付の男をボコボコにしていた。ハリーは個人的に、1番好きなキャラクターだ。狂気と正気がアンバラスに、中途半端に同居している。彼とサイコパスだと決めつけるのは簡単だ。でも、彼ほど人間味に溢れたキャラクターはいないだろう。ハリーもケンと変わらず、仕事のために殺しをやっているにすぎないのだ。間違っても楽しんでなんていない。人が死ぬ様を見たいから、血が好きだからなんて理由じゃない。ケンに銃を向けるのも、レイを撃つのも仕事のため。

 

 

仕事のために人を殺せるなんてサイコパスだよという意見もあるだろうが、そうだろうか。そう描く映画やドラマなんかもあるだろうが、ヒットマンズ・レクイエムに関しては違う。それぞれが筋を通し損ね(レイとハリーは子供を殺すという過ち、ケンはレイを逃がすことができなかった)道を外れた落とし前をつける話なのである。

 

 

登場人物は誰も人間味に溢れている。クズと述べたレイだって、いざ自分が同じ立場にいたらどうだろう。一目惚れした女の子に一緒にいてといわれたらそれを断れるかどうか、答えは否だろう。そんな強い意志を持った人間はそうそういない。マーティン・マクドナーは非常に現実的な物語を描く人間だ。フィクションという皮をかぶって、見ているこっちが目を背けたくなるくらい生々しい人間味をつきつけてくる。

 

 

全体を通して漂う無力感、虚しさ。見ているうちにでっけえ虚無という字がブルージュの空にみえてくるようだ。じっくり時間をかけて「人なんてこんなもん」と言われているようだった。こういう空虚なのが見たかった。